友達がいない社会人に「第三の場所」との出会いが必要な理由

広告

人々が行き交う画像

社会人になると、学生時代のように気軽に遊べる友達が減ってしまいますよね。お互いに仕事が忙しくて予定が合わせられなかったり、ひとり暮らしを始めて地元を離れてしまったりして。

学生時代の友達が減っていく一方で、社会人の生活には、新しい友達と出会う機会もなく、気付けば、自宅と職場の往復だけを繰り返す毎日

ふと学生時代に友達と遊んだ過去を思いだし、楽しかったあの頃と、社会人になって友達がいなくなり、自宅と職場の往復だけを繰り返す毎日を比べてしまい、どこかもどかしい気持ちになる。

無縁社会と言われる現代の日本では、多くの人が自宅と職場の往復だけを繰り返す毎日を送っていますが、そのような生活に満足している人達は、どれほどいるのでしょうか?

また、多くの人々は、なぜ、そのような毎日を送っているのでしょうか?

僕は、その理由を、現代を生きる多くの人々が、合理主義を貫き、徹底的に無駄を排除しているせいだと考えます。

合理主義者に言わせれば、人との出会いの場や友達などは、無駄だと言うのでしょう。

しかし、僕らが幸せに生きるには、多少の無駄が必要なのではないでしょうか?

ここでは、友達がいない社会人が、自宅でも職場でもない、「第三の場所」との出会いが必要な理由についてお伝えしています。

自宅でも職場でもない、第三の場所とは?

コミュニティに参加している画像

現代に生きる日本人の多くは、「第一の場所」と「第二の場所」を生活の柱にしています。

「第一の場所」とは、自宅(家族との場所)のことです。「第二の場所」とは、職場のことです。

この記事では、「第一の場所」でも「第二の場所」でもない、「第三の場所」の必要性について書いていますので、始めに、「第三の場所」について明確に定義します。

ここで言う、「第三の場所」とは、社会的に繋がりのない人達同士が、出会い、交流している空間のことを差しています。

就業時間外の職場のメンバーとの集まりや、親戚同士での集まりは、「第一の場所」や「第二の場所」と完全に隔離されていないので、「第三の場所」には、該当しません。

また、カフェやバー、クラブなど、その場所自体も「第三の場所」には、該当しません。バーで、ひとりでお酒を飲んでいても、そこで、他者との交流がなければ、「第三の場所」ではないのです。

ひとりでバーに行き、そこにいた見ず知らずの人と交流したときに始めて、そこが「第三の場所」となるのです。

第三の場所との出会いで得られること

分岐点で迷う男性の画像

では、なぜ、「第一の場所」でも「第二の場所」でもなく、「第三の場所」で、人と出会い、交流する必要があるのでしょうか。

その理由は、「第一の場所」、「第二の場所」では、満たせない、人の欲求が、「第三の場所」では、満たすことが出来るからです。

そして、その欲求は、現代人が幸せになるために、必要不可欠なものなのです。

義務感からの解放

職場や家族内のコミュニティは、基本的に、「半永久的」です。そこに居るメンバーとは、明日も来週も来月も来年も付き合っていかなければならいことが予想されるため、その場所に居ることに対しての義務感が発生します。

しかし、「第三の場所」では、その場所自体が一時的なものであるのと同時に、いつでもその場所から抜け出すことも出来ます。

すなわち、職場や家族内のコミュニティには、必要不可欠な義務感から、解放されるのです。

経済的・社会的地位からの解放

社会的に繋がりのない人達同士が集まる「第三の場所」では、個人の経済的、社会的な地位は、意味がなく、誰もが対等で居られます。

会社の上司に逆らって、この先の仕事がやりづらくなることや、親に反抗して、家に居づらくなることもないのです。

言い換えると、経済的・社会的地位から解放されるのです。

第三の場所では、ありのままの自分で居られる

義務感と、社会的地位から解放されることで、人が幸せを感じるために必要不可欠な、ある物が手に入ります。

それは、ありのままの自分です

普段の生活では、義務感や責任感、社会的地位を守るために、心に押し込められている、本当の自分です。

「第三の場所」では、自分の意見をありのままに発言する自由があるのです。そして、相手の意見を否定する自由もあります。その場にいる人々がお互いに、徹底的に本音で語ることが出来るのです。

友達がいない社会人は、今すぐに第三の出会いの場に行くべき

森で遊ぶ子供達の画像

もし、この記事を読んでいるあなたが、自宅と職場の往復だけを繰り返す毎日を送っているのなら、あなたは、今すぐに、第三の出会いの場に行くべきです。

なぜなら、あなたは、責任と利害関係に満ちあふれる人間関係を多く経験するあまりに、人付き合いそのものに対して、負の感情を持ってしまう恐れがあるからです。

しかし、責任や利害関係など一切なかった小さい頃に、友達と遊んだ経験を思い出してみてください。そこでは、人と交流をすることで得られる、あなたにとって、とても居心地の良い場所があったのではないでしょうか。

その場所が、あなたにとって、とても居心地の良い場所であった理由は、その場所で、あなたがあなたらしく居られたからです。

大人になったからと言って、あの頃の感情が味わえなくなる訳ではないのです。第三の出会いの場は、あなたに、ありのままの自分で居ることの権利を与えます。

全ての人が常にありのままの自分で生きていたら、この世の中は回らないでしょう。しかし、一週間に数時間ほどであれば、責任や利害関係などを一切捨てて、ありのままの自分を解放してあげても良いのではないでしょうか?

自分が自分らしく居られる時間が、あなたの人生にも、必要なのではないでしょうか?

広告